さがしものの途中

私の人生や想いをつらつらと

母について①

前回の投稿で一悶着あった母についてお話しましょう。


母は北国で生まれ、軽い障がいを持っていました。
母の父は家になかなか帰れない人で、母の母は、母の父の稼ぎで豪遊するような人だったそうです。


昭和時代、今より体罰や虐待・偏見が蔓延していたのではないでしょうか。
母もその被害者のひとりでした。


障がいがあることで、祖母(母の母)は母の姿が人目につかないように、家の中で隔離していたと聞いたことがあります。
当時の詳しい状況までは分かりかねますが、何かあると折檻として母は寒空の下に出される日もあったそうです。


ここの詳細については、父も曖昧なようで
母も思い出したくないだろうと、無理に聞いてはいないのだと思われます。


そんな母が唯一心を開いて大事にしていた存在が弟でした。
しかし、これも経緯は分かりかねますが、祖父と祖母が離婚することになった際に、さまざまな誤解があり、現在は弟に会うことはできないのだそうです。


私はこの話を小学生の頃から知っています。
こんな複雑な話を小学生の頃の私はいつも聞かされていました。


それほど、母がこの話をするにあたり頼れる存在・話せる存在がいなかった証拠かと思います。
話を聞くお人形がきっと私だったのです。


母は最終的にお人形を手離しましたが、お人形はこのことを忘れません。
「かわいそうな母」この事実だけが、今日も私の頭の中に記憶されています。


母についてはまた何かあれば投稿します。


それでは、また。

今日のこと(2022.06.08)

本日は社会人休息日。
おうちでゲームをして遊んでいたのですが、母から急にLINEのメッセージが。


「どうしよう」


この一言だけ。
私がどうしよう?と思いましたが、ここで放っておくと私の母はまたパニックを起こしてしまうので、「電話しようか?」と返信。
(遠回しに「話を聞いて!」というサインなのですね〜)


既読をつけた母からすぐにLINE電話が来ます。
どうやら、母が住むアパートに設置されていたエアコンで問題があったようでした。


「もしもし、ちひろ?あのね、お母さんね・・・」


母の出だしはいつもこんな感じに、子どものような喋り方をします。
甘ったるく、舌足らずで大人が決して出さないような口調が私は大キライです。


「エアコンがね、壊れていてね・・・もうどうしたらいいかわからないの〜〜」


話にならない母の声に耳を傾けるのも疲れた私は、端的に問題を教えてほしいと伝えます。
「エアコンが壊れている」だけであれば、私ではなく業者に言うべきでしょう。。。


「お母さんの部屋6畳でね、6畳用のエアコンが付いていてね
 でも、台所も寝室も暖めたいからって言ったらそれじゃ11畳用のを買うかもう1台エアコンを買えって・・・」


みなさんにお聞きしたいのですが、世の中のお母さんはエアコンなどの機械に弱いのでしょうか?
それから、うちの母はいつも自分の状況や要望を他人に伝えることがあまり得意ではないようです。


母は続けます。


「でもね、あのクソババアがさ、あと親戚の人とかに何かお願いすると怒られるから、怖くて言えないの」


この『クソババア』とは、母の実母、私の祖母です。
母は祖母のことを私や父の前では、このように呼びます。


(また始まった・・・)


母からの電話はまるでハズレが8割のルーレットのようです。
調子が良いときは、本当に親子のように他愛のない話ができます。


ですが、今回のように問題が発生すると、決まって昔のことや祖母のことを関連づけてくるのです。そこに祖母は居ないのに。


そして、決まって祖母の話をするときの母は冒頭でお伝えしたような「子どものような口調」に早変わりします。


娘として、こういう状況になってしまったらお手上げです。
目の前で母親が子どもに早変わりをしておばあちゃんの悪口を言い出すのです。


もう、「愚痴を言うために私に電話をかけたのだろうな」と思うぐらい、話が逸れるのです。


たまらず私は、「ねえ、今日は愚痴を言うために電話してきたの?エアコンの話じゃないの?」と聞きます。


別に、愚痴が主体ならそれでも良いのですが、エアコンの話を解決して電話を早く終われるならそれに越したことはありません。
娘は今日休みなのですから、休みの日は休むものでストレスを溜め込む日ではないはず。
(結果、ここに投稿するまでにはストレスを溜めてしまいましたが・・・)


「ああ、ごめんごめん。けどさあ、お母さん人に何か言ったら怒られるかなって怖いんだよう」


母はついに、聞き分けのない子どもになってしまったようでした。
私には、母の言い分が心に響きません。


それは、私も母と同様に親にある意味で虐待をされていたようなものだから
(ここについてはまた気が向いたら投稿します)


もう成人して立派な大人になったはずなのに、私はいつまで経っても母にある期待をしていました。


(私の前では、『お母さん』であってほしい)


きっと、私が想像する母親像は、子どものことを一番に考えていて
いつも優しくて弱いところを見せないで、たまに間違った道を選びそうになったら厳しくも諭してくれる
そんなところでしょうか。


母も、本来はそんな人です。
ですが、今日のような日が多すぎて、私はいつも本来の母を見失ってしまいます。


「あのさ、私、おばあちゃんと結構仲良くやっていてさ、あまり愚痴とか聞きたくないんだよね・・・
 それにさ、もうそっちにおばあちゃんは居ないんだから、忘れる努力をするとかさ」


これ以上ストレスを溜めたくなかった私は、ものすごく無責任な言葉を発していたと思います。
「忘れる」ことができれば、私だって母に昔されたこと・嫌だったことを忘れられているからです。


子どもの母に私の声は届きませんでした。


その途端、さっきまでの舌足らずで少しぶりっこな母の声色は変わり、消えいるような声で
「ああ、そう・・・」と言われ、電話が切れました。


大体いつも、突然母から電話を切るのですが、私はその度に自分を拒絶されたように思えて涙を流してしまいます。


自分はこんなに打たれ弱いのに、人には平気で無神経なことが言えるのです。
こんな自分も大嫌いです。


いつも母は私とこのような電話の終わり方をした後に父に電話をかけるため
「お母さんに無神経なこと言っちゃった。そっちに連絡が行ったらごめん」などとメッセージを送ります。


それでは、また。

はじめまして

みなさん、初めまして。ちひろです。


ここでは、私が辿ってきた人生で思い出したことをゴミ箱にシュートするように投稿する場です。
ぐしゃぐしゃに捨てるだけのメモ、ちょっとした呟きと思っていただけたら幸いです。


投稿を行うにあたり、フィクションを混ぜることがあります。
架空の物語なんだと思って読まれてくださいね。不快になられたら、ページをそっと閉じてください。


また、記事に関しては私が思い思いにそのときの感情で更新しますので、時系列はバラバラです。
私の人生を詳しく確認したいなんてマニアな方がいない限り、なんら問題ないことですよね。


思い出して同じエピソードを書いていたら「もうこの作者も歳なんだな」とでも思ってください。


それでは。